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水戸付近を走った国鉄バスのきっぷの話(2) [茨城の国鉄バス]

先週アップした国鉄バスの切符は宇都宮自動車営業所管内の路線+水戸駅行きの構成でしたので、今回は水戸を中心に水都東線側の切符をお目にかけます。前にツイッターにも貼った画像ですが、コート日立写真館さんへのレスの中に入れたので見た人は少ないかも知れません。
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まだ水戸から東海村の原子力研究所までの路線が記載されているので1960年代のものかと思います。
バス停の正式名称が一瞥しただけでわかったり、停留所名の配列から路線図のイメージができる方ははたしてどれだけいらっしゃるでしょうか?
時刻表は昭和39年のものです。
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水戸付近を走った国鉄バスのきっぷの話 [茨城の国鉄バス]

水戸からJRバス関東の一般の路線バスがなくなってもうすぐ2年になります。
2月8日のtwitterで昔の国鉄バスの乗車券の写真をアップしたので、そのことについて
少し触れておきたいと思います。

かつてはJRの前身の国鉄バスが水戸地区にも広大な路線網を持っていました。
ただ、その路線のほとんどは国鉄の鉄道路線網を補うために設定されており、結果として鉄道の敷設が困難な人口希薄な地域を走ることとなり、地方の代表的なバス路線となりうるものはごく一部しかありませんでした。

ご覧に入れるのは今から10年近く前に落札した国鉄バスの車内乗車券の中の一枚です。
この大きさなので、バス乗車時に車掌に行き先を告げ、車掌がその場で入鋏して発売したもののようです。
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記載されているバス停名から正式なバス停名や現在のバス停名との対照、当時の路線のイメージができる方は相当のバスマニア。私はもともとバスの知識は全然ないのですが、乗車券との絡みでバス路線にも興味を持つようになりました。

切符の左上の「水戸」はもちろん水戸駅で、この乗車券の本線筋・水都東本線の始発駅です。国鉄バスの規則なのかバス停名であっても国鉄の鉄道線と乗継できる場合は、バス停名に「駅」を付することなく「水戸」「土浦」などと表示していました。つまりバス停でありながら国鉄水戸駅の一部という扱いだったのです。

続く「藤坂町」は1960年代に消滅した水戸の旧町名で現在の水戸市泉町の茨城オートのタクシー乗り場付近の地名で、水戸駅から来たバスはこの通りを大成女子高の方角へ北上して金町の通りを茨大の方へ向かっていきました。

「廿三夜」は現在の「保和苑入口」、その右にある「山ノ内」と「阿久津」は何故か別路線で、かつて茂木駅から山ノ内地区の「甲」までを結んだ水都西線の一支線でした。切符のバス停名のうち下段・右から6つ目の「那珂川(橋)」から北に向かう路線でした。

その先、袴塚・茨大前・台渡里・安戸星と進み、次の下飯富から沢山小までは現在とほぼ同じですね。沢山小の次はレイアウトの関係なのか下段の左から5番目の「御前山」(那珂川大橋の一つ水戸寄りのバス停)に進みます。ここから先「茂木」までの区間は、平成初めまで茨交バスが茂木まで走っていた頃と同じと思われます。「下伊勢」は那珂川の対岸の下伊勢畑集落をバスが走ったのではなく、金井集落から御前山橋を渡っていく下伊勢畑の入口という意味でバス停名が決められたと考えられます。

中段に「太田」とありますが、これは水郡線の常陸太田駅でここから茂木駅までの路線があったのです。常陸太田までの路線は、水都東線と西線の境界であり、嘗ての茨城交通茨鉄線御前山駅前の「赤沢」停留所より宇都宮寄りの水都西本線・那珂川大橋バス停から分岐する路線だったため、水戸側の水都東線ではなく、水都西線の支線になっています。

常陸太田・茂木間の路線は1971年に廃止になったそうですが、国鉄バスのバス停は廃止後も撤去されずに放置されていることが頻繁にあり、この路線の花房東のバス停標識は昭和50年にも残っていたのを覚えています。

そういえば常陸大宮駅と那珂川大橋の間は現在もかろうじて茨交バスの路線が残っていますが、国鉄バスはどうやらこの同じ区間を走ったのではなく、途中の三美(みよし)から北へ進路をとり、水郡線の「玉川村」駅を経由していたことがわかります。これはこの切符を観察して今回初めて気が付きました。三美から玉川村経由で大宮に向かう茨交バスの路線もかつてはありましたが、昭和50年代には廃止されています。このマイナーな方の路線を国鉄バスが茨交と共同運行していたことを最初は不思議に思いましたが、未成線の国鉄長倉線の水郡線との結節点が玉川村駅だったことを考えれば自然なことなのでしょうね。

さて、切符の表面をよく見ると、「那珂川」の欄に穴が開いているので、この乗車券は茂木町の「那珂川橋」バス停まで25円区間の切符のようです。(那珂川大橋と勘違いしていたので修正しました)

穴が1カ所しか開いていないということは、乗客が告げる行先をもとに車掌がその運賃に見合った切符を売っていたので、現在位置からどこのバス停まで乗れるかを切符の上に明示すればよいので、ハサミは行先バス停の欄にしか入れなかったものと判断されるからです。本当のところはどうだったのでしょうね?

かくいう私も最後に車掌から切符を買ってバスに乗ったのはもう40年以上前、高校生の頃なので切符の記載内容やハサミの入れ方までは当時全く意識していなかったので覚えていないのです。おそらく他の年配者でもそんな感じだと思います。
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水戸の国鉄バスのこと(1) [茨城の国鉄バス]

昨年(2020年)4月に水戸を走るJRバスで最後まで残った常磐大学経由の水戸駅・赤塚駅間が関東鉄道バスに路線移管されて、国鉄バス以来の長い歴史に幕を下ろしましたが、最近twitterでこの路線の本線筋だった宇都宮一条町・水戸間の路線の走行中の動画が公開されました。大変珍しい映像だと思いますので、こちらでも紹介させていただこうと思います。Youtubeにフルバージョンが上がりましたのでそちらのアドレスを張っておきます。https://www.youtube.com/watch?v=9fXpPU_CwOQ
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