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廃線王国「茨城」 [呪術廃線]

2月27日に発刊された廃線系鉄道考古学Vol.5というMOOK本では
3号続けて茨城県内の廃止された鉄道が紹介されるという椿事が起きています。

茨城県は県内44市町村のうち私が知っているだけでも
鉄道の廃線がある自治体は半分以上の24市町村におよびます。

①②北茨城市・高萩市…常磐炭田関連の引込線多数
③大子町…黒沢地区の森林鉄道、栃原金山トロッコ軌道
④日立市…日本鉱業の鉱山電車、日立電鉄ほか多数
⑤常陸太田市…日立電鉄線、里美地区の森林鉄道
⑥東海村…村松軌道
⑦ひたちなか市…日立製作所水戸工場通勤輸送列車、旧・対地射爆場内のトロッコ軌道
⑧水戸市…茨城交通水浜線・茨城線ほか多数
⑨茨城町…水戸電気鉄道
⑩城里町…茨城交通茨城線、高取鉱山トロッコ軌道
⑪笠間市…笠間稲荷軌道、稲田・岩間の石材軌道
⑫桜川市…筑波鉄道、樺穂興業、羽黒の石材軌道
⑬筑西市…常総筑波鉄道鬼怒川支線
⑭古河市…旧・今城商店内のトロッコ軌道
⑮土浦市…筑波鉄道、常南電鉄
⑯石岡市…鹿島鉄道
⑰小美玉市…鹿島鉄道
⑱大洗町…茨城交通水浜線、鹿島軌道
⑲鉾田市…鹿島鉄道、鹿島軌道
⑳行方市…鹿島鉄道
㉑阿見町…常南電鉄
㉒つくば市…筑波鉄道
㉓取手市…キリンビール取手工場専用線
㉔常総市…青柳製麺所トロッコ軌道

これは全国の都道府県の中でも多い方ではないかと思っています。
他にも廃線のある自治体はあるかも知れません。

とくに私が住んだことのある日立市や水戸市の中央部は街中いたるところに、それこそ手を伸ばせばそこに廃線跡があるような状態であり、廃線に囲まれて育った私は長じて廃止された鉄路を過去に走り抜けた鉄道車両の模型化にうつつを抜かす老人になったのでした。

ところで最近になって東海村で開館した歴史と未来の交流館では昭和初期に村内に存在した村松軌道の研究を意欲的に行っているようです。

昭和時代には絶対に顧みられることのなかった地元の名もない鉄軌道を令和の今になり地元の自治体が関心を示すようになるとはいい時代になったものですね。
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廃線銀座・水戸(4)~茨城交通水浜線馬口労町入口付近 [呪術廃線]

前に予告した高松吉太郎氏の撮影になる馬口労町入口電停の写真です。
馬口労町入口.jpg
出典は1974年刊の「電車の80年」です。
著作権の問題もあるのでこの写真は短期で削除したいと思います。

当時5千円以上もして子供の自分には手が出ない価格でしたがこの本の所有者が続々と点鬼簿入りするようになったと思われる昨今、古本市場に結構な冊数が出回るようになっており、定価かそれ以下の価格で売られてるケースが多いようです。
自分も余生はそんなに長くないので見たくなったらひたちなか市立図書館にいって閲覧することにします。

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廃線銀座・水戸(3)~茨城交通水浜線馬口労町入口付近 [呪術廃線]

なかなか続きが書けなくて済みません。
前回お話した水浜電車の馬口労町入口電停の写真ですが、家中、古いHDDの中身からも見つかりませんでした。ちなみに撮影されたのは吉川文夫さんではなく、同じ電車の大家である高松吉太郎さんの方でした。これは間違いないと思います。肝心の掲載されている本は「写真で見る電車の80年」と思われ。
これはちょっと遠くの図書館にしかないのでいずれは所在を明らかにしたいと考えております。

あと、あの辺りで謎なのは水浜線末期に設置された一中前電停(水戸第一中学校)の場所です。付近の事情に詳しく、かつて砂久保電停の駅業務を委託されていた間宮商店のオバさんが惜しくも数年前にお亡くなりになったそうで、あの界隈の事情を知る方はさらに少なくなってしまいました。早めに聞き込みをしないと。ここへきて時間との闘いの様相です。もっと早くさっさと調べときゃよかったのに・・・自分の行動力の無さを呪います。
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廃線銀座・水戸(2)~茨城交通水浜線馬口労町入口 [呪術廃線]

水戸の廃線巡りは私がいつも薬をもらいに行く北水会病院近くにある茨城交通水浜線・馬口労町入口電停前からスタートします。

もう日付が変わっちゃいましたが6月10日は路面電車の日なんだそうですね。ツイッターでいろんな人がそのことに触れていて知りました。私も関連して水戸の路面電車・茨城交通水浜線について書き込みをしたので、ついでに少し詳しい話はこちらですることにします。

そんなわけでまずは県道177号赤塚馬口労線と水浜線廃線跡の交差点の上水戸寄りにある馬口労町電停跡
IMG00916s.jpg
ここは単線だった水浜線線路の右側に低いプラットホームがありました。そのためプラットホームの分だけ道幅が少しだけ広がっているのがわかると思います。停留所には雨をしのげるように上屋があったそうで、これは廃線前に茨城交通湊線(現・ひたちなか海浜鉄道)の殿山駅のホーム上屋として移築されたと茨城交通三十年史に記録があります。現在も残る殿山駅のこれがそうだと思います。
tonoyama.jpg
肝心の馬口労町入口が現役時の写真は吉川文夫氏が昭和40年代に出版した路面電車の写真集に掲載があったと記憶しています。週末水戸の家で探して見つかったら載せておきます。
s36谷中.jpg
昭和36年の国土地理院の空中写真で見ると画像下側の黄色い丸で囲んだところが馬口労町入口電停。
ちょうど電車が停まっているのが見えますね、それとホームの屋根。右側には水戸女子高の校舎が見えます。当時は水戸女子商業高校という校名でした。昭和50年代までこの木造校舎が残っていました。

同じ写真で赤丸で囲んだ方が谷中電停です。これについては次回。
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廃線銀座・水戸(1) [呪術廃線]

ブログ開始から半年を経てやっと水戸の話題です。
(カテゴリー名に意味はありません)
水戸市は茨城県の県庁所在地かつ政治経済の中心ですが、人口では長らく県北部にある
日立市の後塵を拝しており、水戸市と日立市の人口が逆転したのはようやく戦後の昭和50年代に入ってからでした。ピークだった平成末期の人口は27万人台と結局県全体の人口の1割に届くことなく人口減少局面に入りました。

そんなわけで水戸は全国の人口の少ない都道府県庁所在地ランキングでは常にヒト桁台にはいっています。ちなみにこのランキングで見ると水戸は1960年では福島、津、大津、山口、鳥取、松江、佐賀、大分などに次いで下から9番目、現在も偶然ですが、鳥取・松江・甲府・山口・佐賀・山形・徳島・福井に次ぐ9位です。

これには平成時代も周辺自治体との合併が他の県庁所在地ほどは進まなかったのも影響しているかもしれません。隣接するひたちなか市や那珂市、大洗町と合併して宇都宮市並みの市域になれば人口も50万人近いのですが、市民からすれば合併のメリットも感じられないので、これでいいと納得している層が大半だと思いますが・・・

水戸はこんな田舎町なので中心市街地も小さくてパッとしませんが、県の中央部に位置することもあって昔からの交通の要衝として昭和の前半までは鉄道網の整備が進み、国鉄の常磐線・水郡線・水戸線を補完する形で近隣の様々な方角から水戸の市街地に向かう民営の鉄道路線が存在しました。

ところで茨城県の民営の交通企業は、現在、水戸の茨城交通と土浦の関東鉄道が突出して大きく、この2社で県域の大半がカバーされています。他県の県都の交通事業者の多くがそうであったように、水戸でも昭和50年代頃までは茨城交通が県内の交通事業をリードする地場の優良企業として地元の政財界にも大きな影響力を持っていました。

茨城交通の歴史に関しては大変立派な社史があるのでここでは詳しく触れませんが、このブログの趣旨からいってやはり取り上げたいのは水戸市内にかつて存在した当社の鉄軌道2路線についてです。

今回からは手始めに昭和40年代初めまで存続した茨城交通水浜(すいひん)線の面影をたどっていこうと思います。wikipediaにある通り、この路線は水戸と太平洋岸の水産業で栄えた大洗・湊(旧・那珂湊市)を結ぶ都市間輸送の郊外電車と水戸市街地の市内電車としての役割を担っていました。

これを書いている令和3年5月時点で水浜線の全線廃止から55年を経過しており、既にこの路線が存続した期間を超えてしまいましたが、今なお市民からは高齢者を中心に水戸のチンチン電車として親しまれ、沿線の随所にその遺構が残されています。

これまでにも多くの人が廃線跡の探訪記をネット上でも発表してきており、いささか語られ尽くした感は確かにあります。地元の小中学校の社会科自由研究の定番にもなっています。ただ、その多くは子供達の宿題のためだったり、あるいは他県や市外の人の手になるもので、この路線への愛着や鉄道そのものへのこだわりというよりも踏破したことへの達成感に力点を置いた記述と感じられたので、私としては地元の水浜線をいまだに愛する趣味人としての視点から先人の記録に追加する形をとりながら書き綴っていきたいと思っております。
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